こんにちは、サカシン(@Shintaro_Sakata)です。
百人一首好きですか?
僕は百人一首大好きです。
高校のときに勉強してから百人一首の奥深さにハマりました。
最近では漫画の「ちはやふる」などでも百人一首に注目が集まりましたね。(広瀬すずさん主演の映画もよかったですね!)
ちなみに文英堂の小倉百人一首の訳が個人的に一番好きです。
今回はそんなおすすめの百人一首を紹介したいと思います。
(※歌意は文英堂の小倉百人一首を一部参考)
この記事の目次
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
猿丸大夫
人里離れた山奥で、紅葉を踏み分けてないている鹿の声を聞くときこそ、秋は悲しいものと感じられる。
人のいない人里離れた静かな山奥で、一面の紅葉を踏む音と鹿の声が聞こえてくる。情景と音が広がる歌です。
今でこそ秋は寂しい悲しいという感覚は薄くなりましたが、当時は夏が終わって少しずつ静かになっていく世界に悲しさを強く感じたものだと思います。
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
菅家
この度の旅は幣をささげることもできない。さしあたって手向けの山の紅葉の錦を幣として捧げるので、神のお心のままにお受け取りください。
急な旅で幣(神に捧げる物)を用意できなかった菅家(菅原道真)は紅葉の錦を幣の代わりとします。神の心のままにお受け取りくださいというのが神にゆだねる人の心があらわれて良いですね。
「まにまに」(思うまま)にという音の感じも好きです。
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
大納言公任
滝の水音は聞こえなくなってから長い年月がたってしまったけれども、その名声だけは流れ伝わって、今でもやはり聞こえてくることだ。
滝の音は流れなくなり、聞こえなくなってしまったけれど、その名は流れ続けて今でも聞こえてくる。。美しい歌です。
この句が読まれた後、この滝は名古曽(なこそ)の滝と呼ばれるようになった名句です。
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
小式部内侍
大江山を越えて、生野を通って行く丹後への道のりは遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、また、母からの手紙を見たことも見ていません。
この歌は裏の事情を知っていればこその歌です。
小式部内侍は母である和泉式部が京都にいる際に、歌合に行くことになった際に読まれた歌なのですが、小式部内侍は歌が優れていたことから、母である和泉式部が代作しているのではないかと噂があったことから、藤原定頼から「(現在京都にいる)母に代作を依頼した使者をおやりになりましたか?その文を持った使者は帰ってきませんか」とからからかわれます。
そのからかわれた際に、即興的にこの歌を返したことから自分の歌がうまいことを証明しました。
即興的に詠んだにも関わらず踏みと文などや生野行くなどの掛詞を使用したりとすごいですね。
背景込みで一番好きな歌です。
最後に
百人一首は千年以上も前に詠まれた歌にも関わらず、今でも同じ歌を詠んで人間の心を震わせるという言葉にできないほどの素晴らしさがあります。
今回紹介した歌以外も是非是非読んでみてください。
それではまた!
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